4. 家族の理解
湿疹というものが最初に出た記憶は小学生の頃。夏の暑い時期、肘と膝の裏に。
今思えば、汗疹のようなものだったのかもしれません。
小さい頃は喘息もあり、喘息が出ている時は、湿疹は引っ込む、湿疹が出ている時は喘息は出ていない、、のようなサイクルだと言われました。
夜中に寝られなくて、母を呼び背中をさすってもらったことも何度もありました。
小学校高学年になる頃にはおさまっていたので、一時的なものだったようです。
中学校3年生になり、ストレスだったのだと思いますが、一度痒みで肘の裏をひどく掻きむしり、傷だらけになったのを見た時の、母の嫌そうな表情が記憶に残っています。
いやだ、早く治しなさい! というメッセージ。
自分も娘を持って、大切な娘の調子が悪いと胸が痛む、そんな気持ちは痛いほどわかります。
けれど、あーあ と、落胆する親の気持ちを、子ども心に敏感に受け取っていたなと、今、思います。
それは、もちろん全く悪気のない、子どもを思う親の正直な心情なのですが、肌が荒れてしまうことは「良くないこと」。
脱ステを始め、私の腫れ上がった顔を見て、一番反応をしたのは母でした。
本当に治るの??
これは、脱ステロイドに踏み込んだ本人も、周囲にとっても切実な、正直な気持ちだと思います。
そして治療中の本人は、一番聞きたくない言葉でもあります。
けれど、周りも心配だろうと、
大丈夫、そろそろ本格的に治さないとね!
このように言えたのは、自分が不安になったり、もう嫌だと思う時、そこにクリニックのサポート体制がしっかりとあって、話を聞いて頂けたからだと思います。
脱ステを始めて最初の桜の時期に、家族でお花見に出かけ、
肌の保護の為に帽子を深くかぶり、マスクをして目だけしか見えないスタイルのお母さんのことを、
一緒にいるのが恥ずかしい と、娘が思っていたのを知ることになりました。
今、治しておかないと体が弱くなっちゃうから、もう少し待っててね。
娘には、何度かこのような説明をしてきました。